遺構と文化財
遺詔御書付に書かれた十禅寺に移すという明正院の晩年の住まいは、京極今出川にあった離宮御殿(御下屋敷)で、「得月台」と呼ばれました。明治から大正時代の間に惜しくもその御殿はなくなってしまいましたが、江戸後期に出版された「都名所図会」にはその全景が描かれ、十禅寺にもその間取り図が残っており、往時の風格をうかがい知ることができます。閣前にあった庭の敷石は「短冊石」と呼ばれ、今も庫裡横の庭に現存しています。

2025年、明正院が山本素軒に描かせた「紙本著色十禅寺再興縁起(国立博物館保管)一巻」に加えて、十禅寺にあったその下絵「附 紙本淡彩十禅寺再興縁起下絵 一括」が、指定のための調査で再発見され、併せて京都市の有形文化財に指定されました。 山本素軒は尾形光琳の師といわれる人物で、十禅寺を訪れ綿密に調査した上で下絵を起こし、さらに明正帝や周囲の意見も取り入れて完成させた経緯が、双方を比較閲覧するとよくわかります。残念ながら下絵は、部分部分で断片して、巻物としての形状を保てておらず、現在修理が必要な状況です。そこで、このたび、公益財団法人 京都地域創造基金運営の「文化財保存基金」を活用して、修繕費を募ることとなりました。みなさまのご支援を何卒よろしくお願いいたします。
URL発句 2020年7月 十禅寺 拝