境内とその周辺


周辺散策のすすめ


 地名「四ノ宮」の語源と言われる人康親王は、琵琶法師ら当道から琵琶琴元祖と崇められ、蝉丸伝説とも混同されて、周辺には山荘跡(京都市遺跡台帳)とされる「諸羽神社」や、蝉丸供養塔のある「六角地蔵堂(徳林庵)」、「人康親王宮内庁墓(元十禅寺敷地内)」など関連史跡が点在しています。

元は徳林庵であったであろう十禅寺より少し東には、琵琶法師らが追善供養を行ったという「琵琶琴元祖四宮大明神」の祠をはじめ、役行者石像の祠、大日如来など石仏三体が祀られた祠があり、大正9年にJRがこの地に移されるまでは、こんこんと水が湧き出でていました。目が見えなくなったことを悔しみ(あるいは地鎮のための足摺舞)、親王が足で地面を摺ると泉が湧いたとの伝説が残され、「足摺水(お足摺の池)」は、このあたりの地名「泉水町」のいわれとなっています。

雅楽蘭陵王の舞、雅楽の舞には足を摺る動作が多用される、人康親王は、この四宮の地の荒ぶる神々を鎮め、邪気を払う厳かな舞を舞って、泉が沸いたのでは。
四宮泉水町10番地、現在は三井寺の飛地境内となっている。左上 琵琶琴元祖四宮大明神、右上 お足擦水 左下 地蔵、大日如来、不動明王